アートフロントギャラリーでの個展としては2009年3月の「柔らかい風景」以来3年振りの開催となる。しかし、それ以前も、あるいはその間も作品とその作風の変化を長い間見つめてきた。3年前までは紙に水彩やパステルなど様々な技法を駆使しながらも広がる余白をいかして描いたパネル作品と、水滴のような樹脂をアクリルに落とした光と影を取り込むような作品を作っていた。パネルでは種や有機体を思わせる形が広がってゆく、あるいは広がりだす直前の一瞬の間、それも長い一瞬と思えるような印象の絵を描いていた。例えばそこには種子が描かれる。伸びだす寸前である。いつ伸びだすのか分からない一瞬。いつまで待つのだろう。そうした柔らかでいながらも硬直し、間を描いていたような印象があった。樹脂の作品もやはり余白に光や影が広がってゆく柔らかな印象で、そこにあるのは確かに凝固した物質としての樹脂であるのに、作品としては樹脂ではなくそこには本来ない光や影を見せる作品だった。これは紙に種子を描いた水彩作品と同様、そこに描かれた物ではなく、余白があることで私たちの想像の中で膨らむ増殖していくなにかを見る側に想像させる作品だったのだと思う。
昨年の夏にアートフロントギャラリーのグループ展で出品した頃からその作品は急速に変化をし始めたのを感じた。まずそれまで二つの作風と思われていた水彩と樹脂が一体化した作品を作り始めたこと。そして立体やこれまでと違う素材を取り込み始めたこと。より重層的に樹脂が複雑に他の素材に絡み、さらに他の素材をそこに差し挟むことで樹脂そのものが際立つ、樹脂あるいは素材そのものを見せ始めたことである。本来作品そのものにない光や影と相まって、素材、あるいは作家の所作そのものが作品の重要な要素となるに至り、明らかに作家性そのものが脱皮をし始めているようである。今年のVOCA出品作(写真)で見てとれるように、昨年、レイヤーや画面全体が複雑になることで垣間見せた画面に広がっていく過剰さはもはや整理されている。大きな画面においても作家の内面的な表現とも思えていた作品は、作品の外の人の気配や空気をも積極的に取り込み始めたように思える。もはや見る側が余白から想像するだけではない。私たちには作家の所作とテンションも見え始めていると思う。もう何年も前に種は蒔かれている。今まさに、芽が伸び始めた一瞬なのだ。
アートフロントギャラリー 近藤俊郎 (プレスリリース等掲載 2012.5)